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東京地方裁判所 昭和37年(ワ)8392号 判決

原告 久保要

右訴訟代理人弁護士 藤枝東治

同 松村恭一郎

被告 張仁悟

右訴訟代理人弁護士 早瀬川武

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告は原告に対し金一、八〇〇、〇〇〇円並びに昭和三七年一〇月二五日から完済まで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とするとの判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、原告は東京地方裁判所昭和二九年(ワ)第三八三号家屋収去土地明渡事件の和解調書第五項(内容は末尾「和解条項」通り)に基き被告所有の品川区荏原三丁目一四二番の一、同所一四一番の四宅地一一五坪六合二勺に建物所有を目的とする借地権を取得したので、昭和三六年九月五日より同年一二月二五日までに同地上に所在(一)木造瓦葺二階建一棟建坪三〇坪二五(工場事務所)外二階三〇坪二五(アパート)(以下第一建物という)、(二)木造瓦葺二階建店舗一棟建坪一八坪、外二階一八坪(以下第二建物という)、(三)木造二階建店舗一棟建坪三坪七五、外二階三坪(以下第三建物という)をいずれも居住に差支えない程度に建築完成した。そこで原告は入居希望者との間に賃貸借契約をなし敷金、権利金などを取得していたところ、賃借人らが現実に入居、使用前、被告は右建物収去土地明渡を請求する権限がないにもかかわらず、これを本案として東京地方裁判所昭和三六年(ヨ)第七九一三号仮処分命令申請をなし、原告の使用収益を害する目的をもつて虚偽の事実をならべ、占有移転禁止、現状不変更を条件とする原告のみに使用を許す旨の仮処分命令を得て、同年一二月二八日その執行をなした。しかし原告は昭和三七年三月二八日被告に対し異議の申立をして勝訴し同年一〇月一日右執行の取消を得たが前記仮処分執行の結果第一建物アパート六室部分、工場部分、第二、第三建物を賃借人らをして右仮処分命令の執行以降、その取消に至るまで使用せしめることができなくなり、原告はその間、賃料一ヶ月合計金二〇〇、〇〇〇円の割合による収益をあげることができず、右賃料相当額の得べかりし利益を失つた。よつて被告に対しその損害額のうち、昭和三七年一月一日から同年九月末日まで合計金一、八〇〇、〇〇〇円の賠償と右金額に対する本件訴状送達の翌日である昭和三七年一〇月二五日から支払ずみまで法定利率による年五分の遅延損害金の支払を求める。被告の抗弁事実の内未だ賃料額が確定していないこと、原告が旧建物を取毀し被告に無断で本件建物を新築したことは認めるがその他は否認する。被告の本件仮処分申請に付原告に過失は全然ないと述べた。

≪証拠省略≫

被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として、原告主張事実中被告が原告主張土地の所有者であること、原被告間に原告主張のような裁判上の和解の成立したこと、原告主張の日前記仮処分命令を申請し、これを執行したこと、原告主張の日原告の異議申立により原告勝訴判決あり、この執行が取消されたこと、原告主張の日頃に本件各建物が使用に差支えない程度に出来あがつていたことを認め、その余を否認し、抗弁として、かりに原告が原被告間の東京地方裁判所昭和二九年(ワ)第三八三号家屋収去土地明渡請求事件の準備手続調書の和解条項第五項にもとづき前記土地に賃借権を取得したとしても未だ賃料なども確定したわけではないから、早急に旧建物を取毀しその所有者である被告に無断で本件建物を新築するが如きは背信行為であり軽卒ともいえるから、原告が被告の仮処分申請によつて若干の損害を受けたとしても、それは原告自らの過失もこれに競合しているので、本訴において過失相殺を主張すると述べ≪証拠省略≫た。

理由

被告が本件土地の所有者であり、原告がその主張の日被告との間にこの土地についてその主張のような内容のある訴訟上の和解をしたこと、被告がこの土地の上に本件三棟の建物を建築所有したところ、被告が原告に対し、これ等建物につきその主張のような占有移転禁止、現状不変更を条件として原告に限り使用を許す旨の仮処分命令を申請し、この命令を得て昭和三六年一二月二八日その旨の執行をしたこと、原告は昭和三七年三月二八日この仮処分命令に対し異議の申立をして勝訴し、同年一〇月一日右執行の取消を得たことは当事者間に争いがない。

そこで原告は本仮処分の執行は違法なものであり、被告の右仮処分の申請はその故意過失に基く不法行為であると主張するので先ずこの点を判断する。凡そ仮処分命令は、一般の事例としては当事者平等の原則という訴訟法上のそれによらず、申請人債権者の一方的主張や疏明に基き、被申請人債務者の意見弁解を徴せずに発令するのが通常である。このことは保全処分の緊急性や密行性という特殊の要請から申来するものでありこの点に関する債務者側の劣性は制度の目的からして止むをえぬものといえる。しかしその反面劣性にある被申請人債務者のために一般訴訟手続では認められない各種の不服申立方法を肯定し、また債権者に対してはその故意過失に基く不法な保全申請により債務者に被らしめることあるべき損害に対しこれが賠償を優先的に確保するために裁判所が相当と認める担保を保全命令の発令の前提条件として提供せしめるのが一般である。これと同時に債権者の保全申請が果してこの賠償請求の前提となる不法行為を構成するかどうかの判断についても、もし当該命令が違法なものとして取消されたときは、できるだけ緊急にそして債務者の優位に、その保護を考慮せねばならない。

それ故にかような場合、民事訴訟法第一九八条二項の精神と対比し、保全債権者に無過失賠償責任を肯定せんとする立場も、実際上十分に了解しうるところである。しかし、わが法制においてこの点につき無過失責任を肯定するものはないので、直ちにこの立場を採ることはできないが、さりとて損失分担の公平を無視することもできないのであるから、具体的衡平の精神に由来する立証責任の転換の法理をこの場合に適用するのがもつとも妥当であると解する。したがつてこのような場合債権者は反証のない限り当該違法の仮処分申請を故意又は過失によつてなしたものと推定し、債務者をして債権者の不法行為の主観的要件の困難な立証責任を免がれしめることになる。

被告はこの点について故意過失のない旨を事実摘示のように抗争するので審判する。

前記和解条項五には本件被告が昭和三六年三月末日かぎり本件原告に対し金三〇〇万円を支払わないときは、本件原告は直に本件宅地につき相当条件による借地権を取得する旨の約定のあることは当事者間に争いのない事実や成立に争いのない甲第三号証甲第四証の一、二原被告各本人尋問の結果によれば、被告は昭和三六年三月三一日、金額三〇〇万円、振出人株式会社三陽、支払人東京都民銀行茅場町支店、同年三月三一日振出という線引小切手一通を、原告方に送付したが原告はこれが受領を拒否し返送したので、被告は右三〇〇万円を同年四月一二日東京法務局渋谷出張所に供託した。原告は被告に対し和解条項五により適法に本件土地の賃借権を取得したとし、しかし借地権の相当条件の協定ができないものとして期間は同年四月一日から満二〇ヶ年賃料坪当り六〇円と自ら算定し、本件土地を使用する旨を通知し従前の建物を収去し、新に本件建物を建築し殆んど完成せしめた事実を認めることができる。小切手による弁済の提供の効力については学説上多少の争いがないでもないが、その支払いの確実性について現金と同視し得ないところから特段の事情のない限り弁済提供の効力を否定するのが今日の殆んど一致した見解ともいえる。してみると右小切手の提供を以て、たやすく弁済提供の効力があつたものと即断し被告には本件土地に賃借権を取得するいわれがないものとして本件仮処分申請に及んだのは、特に右申請にあたり被告が法律の専門家である弁護士を自己の代理人に選任した以上、かような仮処分の違法であることを全く知らず、または知らなかつたことに過失はなかつたと断定することはできない。もつとも原告は昭和三六年三月末日被告より前記小切手を受領後支払銀行に呈示もせず、翌四月八日に至り右小切手を被告に返還したこと、原告は本件土地に賃借権取得したとしても未だ具体的に賃料の額は確定しないのに同地上の建物を取毀し、被告に告げることもなくして本件建物三棟を建築落成せしめたこと、これに憤激して被告が本件仮処分の挙にでたことは同本人尋問の結果容易に推認することができ、前認定事実と併せ考えると被告において本件仮処分申請に出たことは諒とすべきものがあり原告もその責の一班を負うべきものといえるが、このことはいわゆる過失相殺として取揚げる資料としては格別被告の不法行為の主観的要件の鑑定を覆す資料としては未だ十分とはいえない。

よつて被告は原告に対し右不法行為に基き原告に生ぜしめた損害を賠償する義務あるべきところ、以下損害の有無について判断する。

≪証拠省略≫(但し後記認定に牴触する部分を除く)によれば被告の委任する執行吏は昭和二六年一二月二八日本件各建物について仮処分執行をなしたところ第一建物のうち二階アパートについては別紙図面表示のA、E、F室には既に第三者が居住しており階下の作業場は原告が占有していた第二建物については一、二階とも原告の占有下にあり第三建物については二階の部分は第三者が既に居住し階下部分は原告において使用していた。そこで執行吏は第三者占有の各部屋に付てはこの執行から除外し原告についてのみ現状を変更しないことを条件として使用を許し「目的物件は債務者(本件原告)の占有を解き当職に於て保管中なるに依り何人と雖も当職の許可なくして占拠すべからざる」旨を記載した公示書を各建物に貼付した。しかるに翌年一月一七日執行吏の点検の結果、前記第一建物二階のB、C、I室には執行の翌日から第三者が居住し、H室もその頃第三者が居住しG室は翌年一月四日頃第三者が居住、B室には右執行の翌日頃から原告が第三者に使用を許容したとみえ何人かの雑品の置いてあるのが認められた。階下は原告が作業所として使用し現場に変更がなかつたことも認められる第二建物には、執行の翌日より既に第三者が使用占有していた。第三建物階下部分は従前通り原告の占有のままで異状がなかつた。かような事実を認めることができる。

本件第一建物階上アパートの内執行を除外された各室はG室を除き、すべて執行の翌日には原告は仮処分執行の禁を犯して第三者の居住を許容しまたは賃貸借契約を締結し第二建物についても前同様訴外者一家の居住を許容した事実を認められること前記の通りでありまた第一の建物階上G室には昭和三七年一月四日第三者の入居あり前記本件執行とこの日との間に数日の間隔があるけれども、法を無視しての原告のやり方からすれば同室を賃借する希望者があれば、原告はこれに応じ賃料を領収したであろうことが予想せられるので、同室につき第三者の居住が他よりおくれていることはそれが本件仮処分の執行の結果とは断定できないところである。而して原告が第三者をして違法に仮処分執行の各室や建物を使用せしめているのであるから特にその後これ等居住者を退去せしめ仮処分執行の原状に復したという立証でもあればともかくそれが認められない限り本件仮処分の執行の結果賃料相当の得べかりし利益を失つたとする原告の主張は到底採用することができない。また第一建物階下の事務所兼作業所の部分については執行当時原告本人が占有していたし原告本人が当法廷で陳述した(昭和三八年一〇月八日)頃は右執行解放後相当の期間を経過しているにもかかわらず未だここを第三者に賃貸していないことは同本人の尋問の結果からも明らかであること、また同本人や被告本人尋問の各結果で明らかなように原告は製紙原料商であり必ずしも作業所を必要としないとはいえないことも認められるので以上の各事情からするとこの室は当初から原告個人の使用目的をもつて造られたものと認めるのが相当である。本件執行において原告には使用を許容されているのであるからこの部分について賃料相当の損害金の支払いを求めることの許されないことは明かである。また原告は昭和三六年九月頃訴外真山きよから敷金を受領し本件第二建物を賃貸する旨の契約を締結したことがあるが、本件仮処分の結果同訴外人も安んじてこれに居住することができずしたがつて賃料も支払つて貰えなかつた旨主張するが、この前提事実立証のための≪証拠省略≫の成立については確定日付の点を除きすべて被告の争うところであり、他には信用し難い原告本人の陳述以外にこれを確認するに足るものはない。

なおこの建物については本件執行の翌日すでに第三者を居住せしめていること前認定の通りであるからこの建物につき右執行後その解放迄の賃料相当の損害賠償を請求することは全く理由がない。また第三建物も他に賃貸し賃料を取得する目的で建築した旨の原告本人尋問の結果は信用し難く、他にこれを確認するに足る証拠もない。

よつて原告の本訴請求は、他の争点について判断するまでもなく、失当であるので棄却すべきものとし民事訴訟法第八九条を適用し主文のように判決する。

(裁判官 柳川真佐夫)

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